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2020.10.6

入手しやすい鶏もも肉でアレンジ!「鶏のワインビネガー煮」

今回は入手しやすい鶏もも肉でアレンジ!

 「鶏のワインビネガー煮」

です!

 

<材料>4人分

*骨付き鶏もも肉 4本

*塩 適量

*オリーブオイル 大さじ2

*ニンニク(皮付き)  120g

*玉ねぎ(薄切り)  150g

*トマト(ぶつ切り)  400g

*赤ワインビネガー  60 CC

*ハーブ 適量

 

<作り方>

①キッチンペーパーで

骨付き鶏もも肉の水分をよく拭き取り、

関節のところから半分に切る。そして塩をしておく。

 


 

②鍋にオリーブオイルを熱し、香ばしく焼く。

 


 

③皮付きで半分に切ったにんにく、

玉葱を加え一緒に焼く。

 


 

④トマト、赤ワインビネガーを加え、

少し煮て、赤ワインビネガーの酸味を飛ばす。

 


 

⑤ 蓋をして弱火で20分煮る。

 

⑥柔らかくなったら、鶏もも肉を取り出し、

煮汁を漉す。

煮て柔らかくなったにんにく、

トマトの果肉もしっかりと裏漉す。

 


 

⑦鍋に鶏もも肉、ソースを一緒に入れて軽く温める。

ソースの味を塩で整える。

 


 

⑩器に盛り、上からソースをかけ、

粗挽き黒胡椒、ハーブを添える。

 


 

〜ポイント〜

☆其の一

鶏もも肉の水分をよく拭き取っておくことで、

きれいな焼き色に焼ける。

結果、美味しいソースができる!

 

☆其の二

ニンニクは皮付きぶつ切りで構わない。

後で裏漉すので余分な手間、時間をかけない。

合理的!

 

☆其の三

骨付きの鶏もも肉が入手できない場合は、

骨無しの鳥もも肉でも大丈夫。

代わりに手羽元や手羽先を一緒に煮込んで、

旨味・ゼラチン質を補うと

ソースが美味しく出来上がります!

 


 

秋らしさも少しずつ増して、

暖かい鍋物や煮込み料理を食べたくなる季節になってきた。

今回は、フランス・リヨンの郷土料理。
卵、乳製品、獣脂を沢山使うフランス料理では

隠し味に酸味のある調味料、食材を加えて、

全体の味を引き締めたり

主材料の味を引き立てる。
鶏肉の旨味をトマトと

赤ワインビネガーの酸味とが引き立ててくれる

軽やかな煮込み料理だ。
本来は筋肉が硬くなった老鶏を

丸ごと1羽使う煮込み料理だが、

入手しやすい鶏もも肉でアレンジ!

地野菜や旬のきのこのソテーを付け合わせにすると

さらに完成度アップ!

さぁ、自分仕様のキッチンで

シンプルフレンチにトライしてみて下さい!

 

 

「キッチンから見える絵」

-出会い-

 


 

盛岡市大通にレストランを開店し

2年ほど経った頃の出来事だ。

店内の壁には大好きな絵を飾っていた。

どれも思い出深いものばかりだ。

ある日のランチの忙しい最中に、

給仕スタッフが「店主にこれを見てほしい。

と、テラス席のお客様からお預かりしました。」

と小さな画帖を渡された。

ランチのピークも過ぎ、落ち着いた頃に、

内心、あまり期待せずに画帖を開いた。

私の勘は見事に外れた。

のびのびと描かれた

淡く軽やかな水彩の太い線と細い線、

多くない筆数。 シンプルですぐに気に入った。

テラス席には前衛画家風の人はいなかった。

待たせすぎたかもしれない。

老人が1人、

のんびりとコーヒーを飲んでいるだけだった。

諦めて戻ってきた私に

「シェフ、あのご老人ですよ。画帖の方は。」とスタッフ。

「本当?」

 

-能ある鷹は....-

齢80は優に超えている感じを受けた。

仕立ての良い上着を着こなした品の良い方だった。

小柄だが凛とした雰囲気を漂わせていた。

「いい絵が沢山掛けてあったから、

絵が好きな方なんだなと思いまして。

ぜひ見て欲しくてね。」 話が弾んだ。

1908年生まれの画家の名は、平舘清七。

「中等学校写生競技会」で

松本(当時は佐藤)俊介と競ったが、

2人は二等賞、一等賞は

大人からも一目置かれていた天才金野芝郎だったこと。

その時、三脚を立てた場所は

紺屋町の「ござ九」だったこと。

小学校教員、戦争、校長職を経て、

退職後にさらに絵に打ち込んだのは

若くして先立ったライバル俊介との出会いがあったから…。

当時91歳の小柄な老画家の絵の軽やかな一筆は、

単なる一筆ではないことがわかった。

しばらくして、絵を一点買わせていただくと、

「これも良かったら。」と、

当時商売を始めたばかりの若造の懐具合を察してか、

他に二点置いていった。

 


 

一年後、レストランは菜園の2階建ての一軒家に移転した。

平舘先生は、92歳になっていたが、

上田のご自宅からランチを食べに自転車で来てくれた。

ご年配の方には

あまり親切とは言えない急な階段を上って、

2階の客席で魚料理を好んで食べた。

ナイフとフォークを上手に使って、

バゲットにソースをつけて食べるハイカラな、

そして元気な人だった。

ある日、食事を終えた先生にご挨拶した。

「先生、いつもありがとうございます。」

「おいしかったよ。でも、

ソースとお魚の組み合わせが前と一緒だったなぁ。

もっと勉強しないとダメだよ。」

さりげなく厳しいお言葉もくれる大先輩でもあった。

時は流れ、今は中の橋通に店がある。

オープンキッチンの自分の立ち位置から見えるように

先生の絵「聴音」がかけてある。

探究心を忘れないように自戒をこめて。

先日、絵画好きなお客様が、

平舘先生の絵に気付き、

知人を連れ添って再訪してくれた。

帰り際、

平舘先生の絵について教えて欲しいと言われ、

待ってましたとばかりに

「この絵はですねぇ、

平舘清七さんと言う画家の晩年の作品でして、

90歳の時の作品です。

その年齢の作品とは思えないほどモダンでしょ?」

とまるで学芸員にでもなったように自慢気に話すと、

何故かクスクス笑っている。

「この方、平舘先生の娘さんなんです。」

それ、早く言ってよね〜っ(笑)

 

-1ファンとのエピソード

家族しか知らない秘話-

ならば、この話をせねばと、

先生とのテラスでの出会いのエピソード、

自戒の為にここに絵をかけていることを話すと、

とても嬉しそうに聞いてくれた。

そして、娘さんも私たちの知らないお話をしてくれた。

平舘先生はいつも枕の横に

いつも画帖とペンを置いていた。

天命を全うする直前まで、

アイデアが浮かぶとすぐに新作を描き続けていたそうだ。

どうやら、先生の絵は、

永遠にキッチンから見える場所に

かけておかなくてはならないようだ。

 

 


私がこの記事を書きました!
福士雅巳

福士雅巳氏

1968年、岩手県下閉伊郡山田町生まれ。
東京・四谷「オテル・ド・ミクニ」、フランス・リヨン、ボルドー、スイス・ジュネーヴのレストランで研鑽。
"ココロとカラダを美味しく整える料理"を楽しめる「ウサギボタニカ」(盛岡市・中の橋通)店主。

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